ラオス旅行記 融通無碍の精神
前回の記事で、ラオスは何も無いからこそ良いのだと書きました。
日々のんびりしてそうな(少なくとも東京で暮らしている僕の目にはそう写る)ラオスの人々には、「融通無碍」精神を感じます。
融通無碍とは・・・
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- 行動や考えが何の障害もなく、自由で伸び伸びしていること。▽「融通」は滞りなく通ること。「無礙」は妨げのないこと。「礙」は「碍」とも書く。
- 出典:
ラオスの一人あたりGDPは約1600ドルで、国連から後発開発途上国(LDC)に分類されている。(他のアジア諸国にはミャンマー、ネパールなど)
一方で近年の経済成長はめざましく、GDP成長率は約8%で推移しており、中国を凌駕する勢いである。鉱山開発や水力発電が経済成長の牽引役を担っている。
ラオス政府は2020年までにLDCを脱出することを目標に掲げているようだけど、一般の人々に目を向けると、それとは無縁のように見える。
これはあくまでラオスを通り過ぎた一旅行者の所感であって、「お前はラオスの闇を知らない!」と言われても何も反論できないんだけど、ここの人たちは闇雲に経済成長を求めることもなく、かといって後発開発途上国に分類されていることを悲観してそうもない。(そもそも知らないのかもしれない)
例えばトゥクトゥク(三輪車タクシー)のおじさんたち。他の東南アジアの国であれば、「君たちジャパン?どこ行くの?トゥクトゥク乗らない?Yewah!?」みたいにしつこくつきまとわれるはず。
でもラオスの場合はおじさんから「トゥクトゥク?」とだけ聞かれ、首を横に振ると、彼らはすっとタバコを吸いに戻る。
松岡修造が見たら「もっと熱くなれよ!!!」とでも言いたくなるような光景である。
様々な民芸品や織物が並ぶナイトマーケットにいたってはほとんど観光客をスルーしている。「シャチョウサン、ヤスイヨ!」と吹っかけられることもない。
ラオスの人々は儲けに対してまったくがっついていないのだ。
その一方で、ラオスは後発開発途上国と言われながら、物乞いの人がいない。
これは後で書くつもりの托鉢システムが機能しているおかげなのだが、ラオスは統計上は貧しいながらも人々のベーシックヒューマンニーズはしっかり満たされている。
そりゃ先進国と比較すれば生活水準の改善余地は当然あるんだけれども、現状の豊かさからすでに生活に余裕が感じられる。他の途上国同様、子どもたちの笑顔はまぶしく、大人たちからも悲しみにくれる表情はうかがえない。
ラオスの人々は皆各々の時間で暮らしを営んでいるのだ。それは彼らの生活を支えるメコン川がゆったりと流れるようでもある。雨季と乾季を繰り返しながら、人々も一つずつ年を重ねていく。
「自由にのびのびしてみれば?」メコン川のほとりに立つと、シンプルで深い問いを投げかけられる気分になる。
社畜が村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読んでラオスに行ってみた。そしたらやっぱり何もなかった。
GWはほぼ丸々ラオスに滞在していました。
「ラオス行ってきます!」と言うとほぼ必ず「なんでラオス?何かあるの?」と聞かれた。
ラオスの理由はタイトルの通り、村上春樹のエッセイ読んだのがきっかけ。
オチもクソも無いんですが、やっぱラオスって何も無い国。でも、それが良かったっていう話です。
まず首都ビエンチャン。空港がもはや沖縄の離島並みの規模。
地球の歩き方に載っている見所といえば、黄金の塔「タートルアン」、パリの凱旋門を模して作られた「パトゥーサイ」、ラオス最大規模のお寺「ワットシーサケット」の三つ。
全部一日で歩いてまわれる。しかも、各スポット30分もいれば飽きる。
(タートルアンはちょい遠いのでトゥクトゥクなりレンタサイクルで行った方が楽)
二日半滞在の予定なのに、一日でほぼすることが終了してしまった。
主要スポットを回った後はメコン川のほとりで現地ビールのビアラオを飲んで過ごすことに。
最高気温38℃の炎天下で飲んでたら熱中症になりかけたので即退散した。
メコン川通り沿いにあるカフェを転々としてビールを飲み続けた。
お次はルアンバパーン。ラオスの京都みたいな街で、1995年に世界遺産に登録されている。富岡製糸場や軍艦島よりも先輩なのだ。
コロニアル風なおしゃれな街並みは歩いているだけで楽しくなる。
ここの見所といえば、早朝のお坊さんの「托鉢」、ルアンバパーンで最も美しいとされるお寺「ワットシェーントーン」、「クアンシーの滝」、「パークゥー洞窟」であるが、
がんばれば丸一日で回れないこともない。
だったらラオスとかGWじゃなくて週末でもいいじゃん、てなりそうだが、それは本来のラオスの楽しみ方ではない。
数少ない観光スポットをよりつつも、何もしないことを楽しむ国なのだ。
私が旅行中に出会った大阪人はこう言った。
「ラオスは求めすぎたらアカンねん。これくらいでええやんって国やねん」
なるほど言い得て妙である。
ラオス人ののんびりっぷりは日本人からすると一見異様にも写る。
平日の昼間っからビアラオを飲み、メコン川のほとりでぱしゃぱしゃ遊び、原チャリを乗り回す。(まだ本格的なモータリゼーションは到来していない模様)
日々満員電車に揺られている僕に対して、「そんな生き急いで何か幸せなことでもあんのかいな?」と問いかけられている気分にもなる。
ラオスは何もないからこそ、人間の無駄な部分が削ぎ落とされ、原始的な欲求をほどほどに満たし、それでいて豊かで有り続けようとしているのだ。
巣鴨地蔵通り商店街~究極のグルメ選抜市場〜
友人何人かと巣鴨の地蔵通り商店街を散歩しました。
言わずとしれた、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる街の商店街である。
巣鴨駅からほど近いところに1km弱の通りがのびている。
ここに何回か来たという友人は言う。「巣鴨地蔵通り商店街の店はどれも美味しい」
せんべいやメロンパン、おせんべいなど道行くままにいろんなものを買い食い、味見して歩いた。確かにどれも美味しかった。
喜福堂で食べたこしあんぱんは、生地がふんわりしていてほのかな甘みが口の中にただよい、こしあんが良い感じでとどめを刺す。
雷神堂の醤油煎餅は、しっかりコクのある醤油が煎餅の隅々まで透き通っていて、かつしつこくないまろやかさもあった。
手焼きせんべい雷神堂|巣鴨本店をはじめ、東京、神奈川中心に関東に約35店舗
なんで巣鴨のグルメはこんなにも美味しいんだろうと思った時、ふと最近読んだホリエモンの本の一節を思い出した。
Amazon.co.jp: 君はどこにでも行ける eBook: 堀江貴文: Kindleストア
「日本は欧米に比べて飲食店を出すことの障壁が低い。その分競争が激しくなるわけだが、その競争によって日本の食のレベルが高められてきた」という内容だった。
日本で飲食店を出すのが簡単なのは初耳だったが、グルメに口うるさいのは確かにそうだ。食べログやいろんなレビューサイトが人気なのもそれを裏付けている。
日本人は食にうるさい。
そこで巣鴨。巣鴨といったらおじいちゃんやおばあちゃんが大挙として押し寄せる。地蔵商店街もそんな人たちばっかりだった。酸いも甘いも知り尽くしたシニアの方々だ。味にうるさいのに決まっている。そんな「厳しい消費者」たちに、巣鴨の飲食店は常に品定めされているのだ。競争は激しく、淘汰の結果純粋に高いクオリティの店しか残らないわけだ。
そして巣鴨は全国津々浦々のグルメがそろう。博多の明太子、掛川のお茶、はては山形のいなごの佃煮まで・・・・
全国のグルメがここに集い、日本一厳しいといってもいい消費者である江戸っ子のおじちゃんおばちゃんに認められた味だけが残る。
巣鴨グルメここに極めり、である。
北陸一人旅 金沢〜いろんなキャパシティが足りてない〜
山中温泉の次は金沢です。
この旅の前、
宿が、空いてない。
とにかく金沢の宿が取れなかった・・・
駅周辺の旅館は満杯、ゲストハウスも満杯、Airbnbも数万円するとこしか残っていない有様。
北陸新幹線が開通して一年、金沢は押し寄せる人に対して十分なキャパがないようです。(後述しますが、飲食店もいっぱい・・・)
私は運良く駅周辺のビジネスホテルを予約できました。
金沢はひとまず兼六園と21世紀美術館をまわることに。
僕自身、お城と城下町のふもとで育ったので、金沢城周辺には勝手に親近感湧いていた。やっぱ城よね。
21世紀美術館も初めてでしたが楽しかったです。金沢にはこれ以外にもいくつか美術館があるよう。芸術に力入れてるのかな。それにしても瀬戸内海といい、芸術を観光のネタにしようという地方都市が最近多い気がする。地方振興でとっつきやすいからかな。
美術館を後にすると日も暮れてちょうどごはんにいい時間・・・ですが、ここから先が問題だった。
居酒屋が、空いてない。
予約してなかったのでその場でネットで調べながら店にお伺いするも、どこも一杯だった。
僕が見たのはこのサイト。ここにのってる店はことごとく入れなかった。
多分、観光客はみんなこのサイトを見ていると思料。予約しない自分がアホなだけだが・・・
てか、有名店の「いたる」なんて向こう10年は入れないんじゃないかってレベル。(本店だけじゃなく支店含む)
観光客増えている一方居酒屋が足りてないみたいです。
電話かけまくってようやく100人くらい入れそうな規模の大きめな海鮮料理屋に入れた。お刺身おいしかったです。
こんなんで満足できるか!!というわけで宿の近くの手羽先屋さんに突入。
金沢っぽさはなかったですが、おいしかったです。手羽先も焼き鳥も。この旅で一番おいしかったかも。店員さん同士も仲良く会話してて活気がありました。
お客さんもおそらく地元の方々が多かった。そりゃ、観光客は金沢で手羽先食べようなんて思わんわな。
というわけで、金沢でカニに飽きたり、店に入れなかったらここオススメです。
そんなこんなで寝ました・・・
次の日、朝早く起きて向かったのは日本基督教団金沢教会です。
こう見えて私クリスチャンなんです。
旅先の教会に行くのはひそかな楽しみでもありました。
金沢教会は1879年設立の長老派教会です。
歴史は古いけど、今の会同は2002にできたもので、こぎれいでした。
礼拝後は近くにある有名なカレー屋、ターバンカレー本店で金沢カレーとやらを食した。
これは人気No.1メニューのLセット
どす黒いルーにロースかつとハンバーグとウィンナー。朝飯ぬいたのに胃がダウンした。12時前に入ったのですぐ座れましたが、その後行列ができてました。要注意、金沢。
ひまを持て余したのでひがし茶屋街へ。
雨の勢いが増してきて、楽しむ余裕がなく・・・
これもまた風情というべきかな。
短い間でしたが金沢楽しんだし、そろそろ東京へ戻るか・・・というわけで金沢駅へ。
そこであらたな問題が・・・
新幹線が、空いてない。
30分後の「かがやき」に乗ればいいかな〜と三時頃駅についたところ、
2時間後の便まで満席だった・・・
指定席だけじゃなくグリーン車もグランクラスも。ちなみに「かがやき」は全席指定なので自由席に飛び乗り作戦ができないので要注意。要注意、金沢。
仕方ないので17時代のかがやきの指定席を購入。あやうく帰宅難民になるとこだったぜ・・・と思いながらカフェで時間つぶすか、と思いきやさらなる問題が・・・
カフェが、空いてない。
金沢駅ビルには5カ所ほどカフェがあるけど、どこも満席だった。
待てば空いたんだろうが、そんな余裕もなく、仕方なく新幹線改札口近くの待ち合い用の椅子が空いてたので腰掛けた。。ちなみに改札内にカフェないです。要注意、金沢。
そこも席待ちで棒立ちする多数の観光客が・・・ちょっと席を離れようものならすぐさま食い殺されると本能が知らせてくれた。
ぼーっとするのもなんだかなぁということで近くにあった白山そばへ。
金沢駅では有名らしい。
野菜かきあげそばを頼んだ。
席に着いて食べようとすると目の前に謎の広告が・・・
北陸一人旅 加賀・山中温泉
石川県は加賀市に来ています。金曜日有給とって、二泊三日の一人小旅行です。
ここ最近、僕は自分を取り囲む環境にほとほと疲れきっていた。仕事は楽しいけど、このままでいいんだろうかと漠然とした不安に取り憑かれ、将来やりたいことがあったはずなのにいつの間にか見失ってしまっていた。ここはすべて忘れてリセットしよう!と思い立ち、今に至る。そういえば合コンで「趣味は旅行です」と言ってるわりには旅行してなかったな。金曜中にやらないといけない手続きがあったような・・・安心してください、会社のPCも携帯もすべて東京に置いてきました!(誰に言ってるんだ)
加賀温泉を選んだのは、東京から近すぎず遠すぎないほどよい距離感だったから。未体験だった北陸新幹線にも乗ってみたかった。
平日の金曜日の朝、職場に向かうサラリーマンの人ごみをかき分けて僕は北陸新幹線の「かがやき」に飛び乗った。東海道新幹線に比べると一つの車両がすごく短くて、席は10列しかなかった。前の席との間隔は比較的余裕があった。
僕は三列シートの通路側に座っていたが、隣には中国系アメリカ人のお父さんと5歳くらいの女の子、前にはそのお母さんと7歳くらいの男の子が座っていた。女の子は窓を見ながら「パパ、もうマウントフジは通りすぎたのかなぁ?」としきりに聞いていた。お父さんはお仕事っぽいPCをひろげてエクセルファイルとにらめっこしていた。お嬢ちゃん、北陸新幹線ではマウントフジは見れないよ。
さすが最新鋭だけあって「かがやき」の乗り心地は快適で、気づけば眠りふけっていた。金沢までの二時間半はあっという間にすぎていった。中国系アメリカ人の家族は長野で降りていった。
金沢駅の北陸新幹線のプラットフォームはまだ出来たてを残していた。支柱には金色のオブジェクトが取り付けられ、加賀百万石を意識していることが垣間みれた。
僕は北陸本線に乗り換え、加賀温泉駅を目指した。特急に乗る手もあったけど、急いでるわけではないのであえて鈍行に乗った。金沢駅始発の時は立つ人も出るほど意外に混んでいたが、小松をすぎたあたりでだいぶすいた。金沢からちょうど一時間で加賀温泉駅に到着した。
駅の規模は小さくて、自動改札機も無く、切符を駅員さんに渡して改札を出た。
駅前のバスターミナルにはすでに旅館の送迎バスが来ていた。僕以外には元気なおばはん軍団が乗り込んでいた。この人たち、旦那が汗水かいて稼いだ金で温泉につかるのか・・・としみじみ思ってしまった。
加賀温泉駅周辺には片山津、粟津、山代、山中の4つの温泉がある。僕は駅から一番遠い山中温泉を選んだ。秘境っぽくていいかな、という単純な理由だ。
加賀温泉駅から車で20分ほど、山々の間を流れる渓流に寄り添うように旅館が立ち並ぶ。
緑が散った冬の渓谷は物寂しい景色ながら、東京から離れて心を鎮めるにはちょうど良かった。
山中温泉の歴史は古く、奈良時代にとある僧侶さんが見つけたことに由来する。あの松尾芭蕉も称賛した名湯だそうだ。 街の中心に位置する「菊の湯」は1300年以来ずっと同じ場所にある温泉だ。日本は幕府三回変わって、明治維新が起こって、太平洋戦争で負けて、70年も経つ間にずっと同じ湯を供給しているなんて自然は驚異である。自然からすると、一瞬なんだろうけど。
旅館でチェックインをすますと、早速散歩に出かけた。
街の西側にあるこおろぎ橋を渡り、鶴仙渓遊歩道を歩いてみた。
山中温泉の地図。
こちらが山中温泉観光協会の公式サイト。地方の小規模都市にしては(失礼)デザインに気合いが入っている。
https://www.yamanaka-spa.or.jp/highlights/walk/walk1
川の流れとともにに遊歩道を下っていった。
せせらぎの音がすっと耳に入り、心を鎮めていく。
川だけど、生き物は海からやってきたんだなと何か納得した。原始的な意味での帰る場所というべきか。
こおろぎ橋
鶴仙渓遊歩道の小径
渓流
よくわからない石
S字カーブを描く橋、あやとり橋
S字の機能的な意味は、多分無い。
橋の中はこんな感じ
木漏れ日と階段
そんなこんなで小一時間で遊歩道を歩き終えた。
川の一番東にかかる黒谷橋を渡り、街の中心地に戻ることにした。
途中、1300年の歴史を誇る「菊の湯」を通りかかったので、せっかくならひとっぷろ浴びるか!と思い立ち入ることにした。
泉質は「カルシウム・ナトリウム一硫酸塩泉、48.3度」(山中観光協会サイトより)
湯は透き通っていて、特段変わったにおいもしなかった。
草津の強酸性の温泉は肌の弱い僕にはヒリヒリしたし、登別温泉は乳白濁で強烈な硫黄のにおいがしたり、温泉は各地でかなり特徴を持っているイメージがあったけど、山中温泉はすごく「中立的」な温泉だった。
ほっかほかのまま、街の中心部のゆげ街道を巡った。
この街道にある、肉屋のいずみやで食べたメンチカツコロッケが絶品だった。芸能人のサインやなぜか政治家の麻生太郎の写真が掲げられていて、この辺りでは有名みたいだ。
温泉とコロッケ。ありそうでなかった組み合わせ。
http://s.tabelog.com/ishikawa/A1702/A170201/17004260/
日も暮れて寒くなったので旅館に戻った。
晩御飯に会席料理をいただいた。僕以外にはサークル合宿らしき大学生、バスで一緒になったオバハン軍団、僕みたいにひとりで来てる客(安心した)が食堂にいた。
加賀の地酒、菊姫の純米大吟醸はすごく美味しかった。色は透き通っていてクセもなく舌にすっとなじむ。まさに山中温泉の湯の特徴を体現した日本酒だった。
http://www.kikuhime.co.jp/product/gin04.html
そのままほろ酔いでバタンキュー。
翌朝目が覚めて窓に目を向けると、雨が降っていた。
窓のすぐ外には昨日僕が歩いた遊歩道と渓流が流れている。
雨の音はせせらぎに吸い込まれ、
渓流の景色にとけ込んでいた。
旅館の屋根にはじける雨粒
そんなこんなで山中温泉を後にし、金沢に向かった。
いいとこです、山中温泉。
「心を整える」長谷部誠
一昔前にはやった、メンタル本。
心を整えなきゃなーと漠然と思った時に、ふと手に取ってみた。
長谷部のキャプテンシーの評判のよさはもはや周知の事実だけど、
彼だけじゃなくサッカー選手もメンタルが日々上下するんだなとありありと伝わってきた。
僕はサッカーは詳しくないので、テレビでなんとなく試合を観ているだけだと皆常に必死でサッカーしているようにしかみえない。でも2011年のアジアカップの初戦あたりは日本代表の選手といえども気が緩んでいたらしい。そこで長谷部キャプテンのご登場というわけだが。
僕はサッカーどころかスポーツ観戦をほとんどしないけど、一流のアスリートからビジネスマンが学ぶべき点は多いと思っている。
それはプロフェッショナリズムであったり、価値の出し方であったり、本著のようなメンタル調整だったりする。
日本企業に勤めいる分にはよっぽどのことが無い限りクビにはならないけど、アスリートは明日の試合でけがして選手生命を一瞬にして失うリスクを背負っている。日々の激しいプレッシャーにさいなまされながらどのようにプロとしてあり続けるのか、僕は興味があった。
前置きが長くなりましたが、本著の神髄はまえがきに述べられていると思います。
僕にとっての「心」は、車の言うところの「エンジンであり、ピアノで言うところの「弦」であり、テニスでいうところの「ガット」なのです。???という感じかもしれませんが、「メンタルを強くする」と言うよりも、「調整する」「調律する」と言った方が適している感覚です。
(中略)
つまりは「心をメンテナンスする」「心を整える」ということ。
僕はメンタルトレーニングというと心を強くするイメージが強く、上司にキリキリ詰められても動じないみたいなイメージを持っていた。
それも間違ってはいないんだろうけど、もっと大事なのは「心」を最高のパフォーマンスを出せるように常に整えておく(車でいうエンジン、ピアノでいう弦、テニスラケットでいうガット)。
どれだけ素晴らしいテクニックやフィジカルを持っていようが、心がのってこないとそれらを活かすことさえもできない。
そのためにはどんな状態なら自分の心が整っているのかを知らなくてはならない。つまり自分のぶれない軸を持っている必要がある。長谷部はそれを徹底的に知り尽くしているんだと思う。(陶芸で台がしっかりしているというくだりも、その表れなんだろう)
心を整えるには、まず自分はどんな状態なら整っていて、どうすればずれた時にチューニングできるかをを知らなければならない。
片づけは自分づくり
今度引っ越しするのですが、荷造りする前にまずは部屋を片付けようということでこんまりさんの片づけ本をあらためて読んでみました。
米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたり、著書が全米一位になったりと相変わらず注目を浴びていますね。
前回の引っ越しで読んだ時はもやもやが読後感に残ったのですが、今回はすっと腹落ちしました。
こんまりさんの片づけメソッドは、まず「捨てるを終わらせる」ことから始まります。モノの捨て方はいたってシンプルで、「モノを触ってときめかなかったら捨てる」
ときめいたら残す、ときめかなかったら捨てる。
最初はなんじゃそりゃwwwwって感じでしたが、
今考えてみると、これって自分の価値判断を形作ることなんだと思いました。
これがすごいのって、モノの必要性を読者の主観にゆだねているところだと思うんです。これまでの片づけ方法って、「何日間使わなかったら捨てる」みたいな客観的な基準をもうけるのが多かったんですが、これだと結局誰もしなくなるんですね。ルールを作るのはいいけどルールを忘れてしまう。
判断基準が「ときめくかどうか」なら完全にその人の直感になります。
そして、どんなモノに囲まれるかって、結局その人そのものなんですよ。
音楽好きなら立派なオーディオ機器があるだろうし、歴史好きなら本棚に司馬遼太郎とか塩野七生が並んでいる。
だから何にときめくかどうかって、自分はどんなモノと生きていくのか、ひいては自分はどんな人間になろうとしているのかという問いでもあるわけです。
ときめくかどうかを明確に(主観的にせよ)判断できる人は、ちゃんと自分の価値判断を持っていると思います。
最初に僕が「片づけの魔法」を読んだ時にしっくりこなかったのは、その時はまだ自分の価値判断ができていなかったからです。
それから三年の時を経て、ときめくかどうかをちゃんと判断できるようになってきたのは、前よりは自分自身をかたちづくれるようになったからだと思っています。
学生時代にバイブルだと思っていた中谷彰宏の「大学時代しなければならない50のこと」はさくっと捨ててしまいました。もはや社会人になった自分には必要ないと判断しました。(この本自体は名著なのでこれから大学に入る人にはおすすめです)
だから片づけをきっちりできる人は「自分を持っている」人だと思います。