Somewhere in the world 〜不真面目社畜の徒然日記〜

ビジネスと旅行と、時々宗教

はじめての宗教論 左巻―ナショナリズムと神学/佐藤優〜神学の入り口〜

右巻を読んだので、次の左巻も読んでみた。

 

はじめての宗教論 左巻―ナショナリズムと神学 (NHK出版新書 336)

はじめての宗教論 左巻―ナショナリズムと神学 (NHK出版新書 336)

 

「 なぜ神学はナショナリズムに結びつくのか?」が主なテーマ。

キリスト教神学の基本概念を説明した後、近代に自由主義神学を確立したシュライエルマッハ、そして彼を超克しようとしたカールバルトについて解説している。

 

シュライエルマッハは宗教の本質は「直観」と「感情」あると解いたことが、神学のパラダイムシフトになった。それまで雲の上にいるとされた神様が、人々の心の中にいるとされたのだから。

内在化された神により信仰は内を向き、外部性が捨象されるようになった。

やがてそれは共同体をともにする者たちの存在事由となり、信仰を共有できない者は「異端」として敵とみなされた。こうして神学はナショナリズムを助長し、ナチズムを正当化し、世界大戦をもたらした。

 

偏狭なナショナリズムに異を唱えたのがカールバルトだった。

バルトはローマ書を読み解き、神はさらに「上」にいると解いた。人間がとても到達できないところだ。だから神の啓示はそのひとり子イエスキリストを通してでしか知ることはできない。もっと聖書に、キリストの言葉に耳を傾けようと主張した。

 

とまぁこんな感じでしたが、分かったような分かんないようなぼんやりとした感覚だけが残った。右巻と同じく、議論がとびとびで、いきなり「ちなみに〜というと・・・」みたいに脈絡の無い話が続いて全体像がつかみづらかった。僕がアホなだけでしょうが。

本書ではシュライエルマッハとバルトの原著をたびたび引用してますが、やはり原典にあたらないと神髄まで理解できないんだろう。その上で本書を読めば、「そういうことだったのか!」「いや、その解釈おかしくね?」と反応が生まれ、理解が進む。

 

神学のとっかかりはつかめたので、本当にタイトルとおり「はじめての宗教論」でした。

神学勉強したいけど何から読んでいいのか分からない人向け。

「18歳で東京にでてきて、一人暮らしを始めたこと」の意味  -孤独と、多様性の中の相対化-

ちきりんさんのブログの最新エントリで、ご自身の「人生報われたランキング」を発表している。そこでダントツ1位が「18歳で東京にでてきて、一人暮らしを始めたこと」と書かれている。

d.hatena.ne.jp

 

これには僕も激しく同意した。僕自身も高校卒業を期に、18歳で上京して一人暮らしを始めた。実は今年でちょうど上京10年目を迎えるのだが(て、年がばれてしまった・・・まぁ、誰も興味ないからいいんだけど)

上京してからの10年をぼんやりと振り返っていたが、やはり「上京」が僕にとって今までの人生で最も重要なライフイベントだった。

「18歳で東京にでてきて、一人暮らしを始めたこと」の意味は何だったのか。

それは、自分の価値観がとてつもなく広がり、自分だけの人生を生きようと思えたことだった。

 

なぜ上京したのか

僕は幼稚園から高校まで関西のとある片田舎で過ごした。

海外に行ったこともないし、自宅からチャリで行ける範囲が僕の世界だった。

高校は地元志向が強く、ほとんどが大阪、京都の大学に進学した。

そしていつかは地元に帰り、家庭を築き、また子どもが地元で育つ。

そんなライフサイクルが成り立つ小さな街だった。

でも僕はいつしか上京を志すようになった。

父親が一時期東京で単身赴任していたから、まわりの友達よりも東京が身近にあった。

それに、中学高校と多感な時期に9.11のテロ、イラク戦争をテレビで見て、「世界では今も戦争をしている。こんな片田舎でのんびりしていていいのか。もっと広い世界に意飛び出した方がいいんじゃないか」という漠然とした危機感がわいてきた。

東京という新天地で、新たに自分の人生を始めたかった。

 

上京してどうだったか

同級生はみんな関西の大学に進学するものだから、誰も知り合いがいない東京に一人で出てきて、6畳一間の小さなアパートで一人暮らしを始めた。ここから人生が大きく変わり始めた。

まず、一人何とかで生きないといけないことを痛感した。

当然家事全般は自分でやる。何を食べて飲むか、どんだけお金使うかも(仕送りの範囲内だけど)自分次第。

まだ上京したばっかりで友達もいない時、僕は台所で野菜を切っていた。

ここでふと思った。「もし手が滑って自分の脈を切ってしまったとしても、誰も気づいてくれないんじゃないか?そしたらこのまま僕は死ぬんじゃないか?」

その瞬間、ぞわっと背筋が凍った。生とは対極にあるはずだと思っていた死が、いつやってきてもおかしくないことに気づいた。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

-村上春樹ノルウェイの森

 

1000万人以上の人口を抱える大都会東京の中で、アパートの一室にいた僕はあまりにも孤独だった。「手を滑らせて脈を切らないように用心しなければならない。もし切ったとしても、何とか自分で助けをよばないといけない。さもなければ、死に飲み込まれる」

この孤独感と、一人で何とかしないといけない覚悟は、田舎から上京しないことには得られなかった。

(結果、村上春樹にハマったわけだが・・・)

 

そもそも広い世界に飛び出したくて上京したわけだが、めちゃくちゃ広がった。

東京にある大学に進学したんだが、まず標準語にびっくりした。そもそも自分は「標準語ではない方言の関西弁」を話していたのだった。標準語との出会いは、自分を相対化する出発点だった。 

 

今まで日本から一歩も出たことなかったのに、大学進学後は狂ったように海外に行った。旅行だったりボランティアでアジア・ヨーロッパ・アフリカを回った。アメリカには一年間留学する機会を得た。

それまでは日本の一方言でしかない関西弁コミュニティにしかいなかった僕が、多くの言語圏を旅したわけだから、価値観がぐっと広がった。

 

フィリピンの漁村では「1日1ドル以下で暮らす」という統計でしか知らなかった貧困のリアルを見た。(もしくは、「見る」ことしかできなかった)

アメリカ人に「アメリカでは原爆が正当化されてるなんておかしいよ!」と議論をふっかけたら「そもそも君たちがパールハーバーで始めた戦争だろ?」と切り返され何も言えなくなった。

イギリスで会ったスペイン人となぜかドラゴンボールネタで盛り上がった。

ラオス人からはあんまり生き急がなくても幸せな人生を送れることを教わった。

 

どれも、自宅のまわりをチャリで走っているだけでは出会えない世界だった。

そして、その世界は多様性に満ちていた。要するに、「みんな違ってみんないい」ということだ。

いつしか「多様性の中に身を置くこと」が己の人生のテーマになっていた。

さらに、多様性の中で自分を相対化させることで、自分の価値観が限りなく広がっていった。

上京して、自分は関西人であることを知った。

フィリピンやタイでは、自分はアジアの中で先進国の日本人だった。

ヨーロッパやアメリカでは、彼らの前では僕はまずアジア人であり、次に日本人だった。

 

みんな多様で、みんな違う。その違いを尊重しなければならないと学んだ。

また、自分も多様性の一構成要素でもある。だから、自分も他と違っていいと気づけた。この広い世界で、どう生きようがそれは自分の勝手なのだ。

 

結局、上京とは何なのか

長々と書いたけど、強引にまとめると、

  • 人間は究極的に孤独である
  • この世界は広く、多様性に満ちている
  • どう生きるかは、自分次第 

ということだ。

大海原をどんな船でどれくらいのペースで、どこに向かうのかは、自分の自由だ。

そう気づかされたのは何よりも「18歳で東京にでてきて、一人暮らしを始めたこと」のおかげである。

ちきりんさんは先のブログで「あのとき、18歳で東京に出てきたあの日が、私の人生の始まりだったと思ってます。」と述べている。

僕もそう。上京してから、自分の人生という航海が始まった。

 

地方上京組オススメの本

最後に、僕みたいに地方から上京した人にぜひ読んでもらいたい本を紹介したい。

・上京物語/喜多川泰

タイトルそのまんまだけど、上京する子どもにむけて、父親が人生を指南する本。

これから上京する人はぜひ。上京して10年たった人は、心えぐられます笑。

 

上京物語 僕の人生を変えた、父の五つの教え

上京物語 僕の人生を変えた、父の五つの教え

 

  

 ・アルケミスト-夢を旅した少年

「上京物語」の巻末にも紹介されている本。一昔前にベストセラーになった。

最後まで夢を諦めない純真さを思い出させてくれる。さらに心をえぐられる笑。

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

 

「難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!」山崎元/大橋弘祐~凡人が長期で勝つための一冊~

将来に備えて資産運用でもしようか、でも何の知識もないなぁというところで手に取ってみた。

Amazon.co.jp: 難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください! 電子書籍: 山崎元, 大橋弘祐: Kindleストア

 

一時間くらいでさくっと読めた。タイトル通り、超初心者が初めに読む本として最適だと思う。お金の素人大橋氏が、お金のプロ山崎氏から対談形式でアドバイスをうけるという構成になっている。

 

お金の運用の方法として、

①自分の生活水準に必要な現金

②個人国債(10年)

③インデックスファンド投資信託(日経/海外を半分ずつ)

が勧められている。

 

さらに、資産運用にかかるコストは極限まで下げるのが大事

手数料の安いネット証券で課税控除のあるNISA活用がおススメらしい。

あとは、銀行に近づくなとか、生保は自分が死んだら困る人がいる人以外いらんとか、いろいろと金融業界に喧嘩売っていて大丈夫かなといらん心配をしてしまう。

 

特に③について、長期ではアクティブファンドはインデックスファンドよりも利回りが下がるらしい。

インデックスファンドを持ち続けていた方が、結果的にお金は増えるというわけだ。

例えばアメリカでは、たった三年でも約7割のインデックスファンドがアクティブファンドを上回っている。20年までひきのばすと、8割を超える。(以下参照)

アクティブファンドはインデックスファンドに勝てない

 

 

テレビではデイトレやFXで数億儲けました!みたいな人が喧伝されているが、そんなのは極めてごくわずかなんだろう。それ以外のほとんど人たちはお金を溶かしてしまっている。(そして、電車が止まる・・・)

僕みたいな凡人は

・そもそも一攫千金など幻想

・遠回りそうに見えるインデックスで耐えた方が長期では勝てる

ことを前提に、コツコツ運用していくのが勝ちパターンなんでしょう。

それよりも、運用できる元手を増やすために本業をがんばれと。

 

あとはREITとか山崎さんはどう思っているのか気になった。

ひとまず、僕が死んでも(経済的に)困る人はいないので、知り合いにのせられて入ってしまった生保は解約してくる。

 

 

なぜラオスでは社会主義と宗教が共生できるのか

 仏教の街ルアンパバーンを歩いていて興味深いのが、仏教寺院が立ち並ぶ傍らでラオス国旗とともに社会主義を象徴する「鎌と槌」の赤旗が掲げられている光景だった。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Flag_of_Laos.svg/600px-Flag_of_Laos.svg.png

 ラオスの国旗。赤は独立闘争で流された血の色を、青は国の豊かさを、中央の白丸はメコン川に昇る月を表している。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Hammer_and_sickle.png

 社会主義を象徴する「鎌と槌」の旗。

 

ラオスソビエト型の統治を理想とする社会主義国家だ。人民革命党による一党支配体制が敷かれている。その一方で、国民のほとんどが上座部仏教を信仰している仏教国でもある。

1975年までラオスは王国だったが、フランスの植民地支配を経て左派のパテートラオが内戦に勝利すると、社会主義へ移行し、王族は追放された。

詳しくはWikipediaで。

 

しかし、マルクスが「宗教はアヘン」と言ったように、社会主義と宗教とは本来相容れないものだと僕は思っていた。

例えばロシア革命後、ロシア正教ソビエト政権により厳しく弾圧された。

ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂である救世主ハリストス大聖堂が爆破されたくらいだ。(日本でいう伊勢神宮に相当するくらい神聖な建築物)

ロシア正教会の歴史 - Wikipedia

 

なぜラオスでは社会主義と仏教が共生するのか。この問いを考えると、日本からしてマイナーなラオスの特殊な事情が浮かび上がってくる。

僕が考えるに、社会主義と仏教が共生する理由は大きく三つあるのではと思った。

 

①仏教はラオスの国民性に深く根付いており、それを変えることは不可能だった

②仏教の実践が、社会主義イデオロギーの達成に貢献するものであった

ラオス共産主義革命は、他国のそれよりも急進的でなかった。

 

①仏教はラオスの国民性に深く根付いており、それを変えることは不可能だった

1975年に社会主義体制に移行した当初は仏教は人民革命党により弾圧されたが、大きな反発を受け、すぐに弾圧は終わったらしい。

ラオス東南アジアでもかなり敬虔な仏教国だ。14世紀から19世紀末まで続いたラーンサーン王国では、仏教が国教とされていた。

托鉢という仏教行事が毎朝実践されているし、若い人たちも満月の日にはお寺でデートするらしい。

老若男女、ラオス人の心には何百年と仏教が根付いている。

それを真っ向から否定するなんて、日本で天皇制を否定するようなものかもしれない。

太平洋戦争後、昭和天皇が戦犯を免れたのは、「この人処刑したら暴動おきてヤバい」とGHQが判断したってのは有名な話ですよね。

 

②仏教の実践が、社会主義イデオロギーの達成に貢献するものであった

托鉢がラオスの富の再配分機能を担っていると書きましたが、仏教の実践が社会主義が理想に近づくものだったと言える。

ラオスでは労働人口の8割が農業に従事している。また、国土の多くが山岳地帯で占められ、必然的に人々は小さくまとまって各地で農業を営んで暮らしている。

つまり、前近代的な農業共同体が今も維持されているのだ。

その共同体の中心的存在が仏教の寺院だ。托鉢で集めた食料を貧困層に分配するだけでなく、貧困層の子どもに対する教育サービスも提供している。

普通の学校に行けない子どもは、寺院に通って僧侶になる選択肢がある。

また、インフラ整備においても寺院がファンドレイジングの役割を果たす。

ある地域において住民が舗装道路を通したいと思った場合、住 民達は地域内の寺院でチャリティーのお祭りを開催し、当該地域外からも含めた参加者か ら寄付を集める。仮に必要とされる予算の 50%を集めることができた場合、残りの 50%に ついては政府が予算を組み、事業が行われるような仕組みとなっている。

出典:総務省ラオスの行政」P5

http://www.soumu.go.jp/main_content/000096650.pdf

 

厚生労働省文部科学省国交省が管轄する業務を寺院がやっているようなものだ。

これってまさしく中世ヨーロッパの教会・修道院と同じ。

ヨーロッパは産業革命以後、工業化が進展するに伴い教会が街のコミュニティセンター的な役割を担うことがなくなり、世俗社会との結びつきが弱まっていった。

でもラオスは上述の通り小規模で分散した農業共同体が維持されているので、仏教がかれらの生活の基盤となっている。

平等で公正なる社会の実現を標榜する社会主義は、ラオスでは仏教の実践によって成されている。

そして、ラオス人民革命党も仏教との理念の共鳴を公言しているそうだ。

ラオス人民革命党も仏教との関係を意識しており、党の理念・思想と仏教の思想が一致す ると明言し、党の勢力拡大策として寺院を利用している側面もある。

出典:総務省ラオスの行政」P5

http://www.soumu.go.jp/main_content/000096650.pdf

 

 

ラオス共産主義革命は、他国のそれよりも急進的でなかった。

ロシア革命ロマノフ王朝を滅ぼして世界初の社会主義政権が成立した一大事だったし、中国の辛亥革命も2000年続いた王朝政治を妥当した大規模な革命だった。

でもラオス社会主義革命は、大規模な衝突もなく粛々と行われたことから「静かな革命」と言われているそうだ。

 ラオスも内戦を経て人民革命党政権が成立したが、それを率いていたのはスパーヌウォンという人で、何と彼は王族出身者だった。

ルアンパバーン王国の副王の子として生まれながら、左派の先鋒として内戦を戦い抜き指導者の座についたことから、「赤い殿下」と言われているらしい。

社会主義革命とは言いつつも、ラオスの場合は仏教のイデオロギーの正統性を前提としたものだったのではないか。レーニンや孫文が王朝を全否定して国を一から作ったのとは異なり、ラオスの根底に流れる仏教はそのままに、国の統治メカニズムとして社会主義がなりたっている。

 

ラオスは日本からバンコク経由で行っても8時間ほどの距離で、海外旅行ではわりと近いほうだろう。同じアジアの国であっても、日本とは国の統治の仕方も、国民の精神も異なる。近いけど、全然違う国。

ラオスに行けば、国を国たらしめるものは何か考えさせられます。

 

  

 

「はじめての宗教論 右巻」佐藤優

宗教論とか神学を勉強したく、有名な入門書と聞いたので読んでみた。

www.amazon.co.jp

キリスト教に焦点をあてつつ、宗教ってなんなの?ということを解説している。

ただ、新書だからなのか話が飛び飛びの箇所があり、どこかのコラムをつなぎ合わせたような構成で体系だって理解しづらかった。

本当にしっかり勉強するならそれこそ専門書読めということなのか。

 

本書では「宗教の定義は不可能」とされている。

でも、「『見える世界』」と「見えない世界」をどう分けるのか?」という問いに宗教は集約されると感じた。

人間はどこから生まれ、死んだらどうなるのか。愛、友情、悲しみとは何か。

これらの「目に見えないもの」を物語によって説明するのが宗教ではないか。

キリスト教で言えば、神が世界と人間を作ったことに人の歴史のはじまりがある。アダムとイブが禁断の果実をかじったことで追放され、神と人間たちの和解のためにイエス・キリストがこの世に送られた。いずれこの世界は終末を迎えるが、イエスを信じるものは救済され、天国に送られるのだ。

 

その真逆を行くのが無神論だったり科学至上主義だ。すなわち「見えないもの」は存在せず、「見えるもの」がすべてであると。

 

どの国にも宗教や信仰が存在する。日本は無宗教とかいいつつも、みんな正月は初詣に行き、お賽銭を投げて「見えないもの」に対して願い事を請う。

 

「見える世界」と「見えない世界」をどう分けるか。

この問いが、世界をひもとく鍵となる。

 

 

 

 

 

 

ラオス旅行記 メコン川の恵み

ラオス東南アジア唯一の内陸国ですが、南北を切り裂くようにメコン川を流れています。

ラオスにとってメコン川が大いなる恵みなわけです。

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メコン川が人々の生活を支え、街を作り、国の境界をも形づくってきました。

古代四代文明が河川沿いにできたように、首都ビエンチャン、古都ルアンパバーン、その他の都市にメコン川を流れています。

メコン川で穫れる(少しグロテスクな)魚は毎日ローカルマーケットに並び、ラオス人の胃袋に放り込まれている。

また、ラオス中央に位置するビエンチャン周辺を流れるメコン川はそのままタイとの国境となっています。

北部の都市ファイサーイはメコン川ミャンマーとの境を区切っている。

南部まで行くと、カンボジアを分け隔てている。

 

まさにメコン川ラオスの国を形作っている。

特にやることのなかった僕はメコン川のほとりでずっとご当地ビール「ビアラオ」を飲んでました。

 

ビエンチャンを流れるメコン川は濁っていはいるものの、その景色は雄大。雨季が来ると水量が増し、乾季になると少し干上がって岸が広がる。この2サイクルを毎年延々と繰り返している。さながら、ラオスの人々が毎日をのんびりと暮らしているかのようである。

 

すべてを飲み込むかのようなゆったりとしたメコン川の流れがラオス人のマイペースの基礎となっていると言っても過言で話さそう。

 

ルアンパバーンではプーシーの丘と呼ばれる有名なスポットがあり、この丘から夕陽に落ちる美しいメコン川を一望できる。ただ、登頂までに200ほどの登らないといけないんだけど。

最高気温40℃近い4月末に僕は登ったわけだが、「部活かい!」と突っ込まないと身が持たないくらい辛い階段だった。

丘から眺める夕陽は、すべての苦労を吹き飛ばすくらいの美しい光景だった。

 

太陽とメコン川からすれば、僕なんて取るに足らない存在なのは間違いないけど、それでもこの大自然の一員でいさせてくれることに感謝したくなる。

ラオスに降り注ぐメコンの恵みを肌で感じた。

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ラオス旅行記 ルアンパバーンの托鉢〜他者貢献による高度な再配分システム〜

前の記事にも少し書きましたが、世界遺産の街・ルアンパバーンでは托鉢と呼ばれる仏教の行事が有名です。
 
毎朝お坊さんが列をなして歩き、沿道の人々がご飯をお布施に捧げる。(ルアンパバーンの托鉢が最大規模なだけで、ラオスのどこの街でも実施されている)
お坊さんは腰に壷をぶら下げていて、人々はそこにご飯を入れる。その時、お坊さんよりも低く座ってなければならないし、話しかけちゃいけないどころか目を合わせるのも禁じられている。この国でお坊さんは最もリスペクトされている職業らしい。
 
 
 集まったご飯はお寺に持ち帰られて、お坊さんが食べた後は貧しい家庭に分け与えられるらしい。だから後発開発途上国なのにラオスでは物乞いの人はほとんど見ない。
共産主義を象徴する「鎌と槌」の旗がいたるところで掲げられているのに、貧困救済を担っているのはこの地に何百年と続く仏教というのは興味深い。(もしかしてミャンマーもそうなのかな?)

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僕も托鉢に参加してみた。日の出くらいに起きて、街に繰り出した。現地の人々は歩道に絨毯を敷いて正座して座っているけど、観光客向けには小さい椅子が置いてあり、そこに座りながらお布施をすることができる。この椅子も巧妙で、背の高い欧米人が座ってもお坊さんを超えないような丈になっている。
 
托鉢が始まる前には路上にたくさんの売り子が出ていて、お布施を買うことができる。(ただ、宿に張られていた托鉢の注意事項ポスターには、「路上の売り子ではなくローカルマーケットで托鉢のお布施を購入してください」と注意書きがあった)
 
観光客向けの椅子に座り、路上で買ったご飯をお坊さんのもつ壺に入れた。お坊さんが次々に来るので、結構テンパる。
極めて宗教的な行事なのに、多くの観光客がお坊さんの脇で写真を取っているのは何だか違和感を感ぜずにはいられなかった。地元の人々が大事にしている領域に足を踏み入れてしまった気分。僕も気をつけよう。
 
でも托鉢に参加してみて、感じるものはあった。村上春樹もエッセイに書いてたように、大事な何かを思い出させてくれる。
与えることで自分も幸せになれるとか、情けは人のためならずとか、何となくそんな感じ。自分の持てるものを人に与えるとはどういうことかを考えさせられる。僕がお坊さんに捧げたご飯は仏教の信仰にもとづいていないとは言え、お坊さんや、ラオスの貧しい人たちの食事になるのだ。そう考えると、ただ遊びでこの街に来たわけでなく、わずかながらラオスの人々に貢献できた気分になる。
 
そういえば、自己啓発本のベストセラー「夢をかなえるゾウ」にも、成功したいなら「寄付しろ」と書かれていた。
 
ええか?お金いうんはな、人を喜ばせて、幸せにした分だけ貰うもんや。せやからお金持ちに『なる』んは、皆をめっちゃ喜ばせたいて思てるやつやねん。でも、お金持ちに『なりたい』やつは、自分を喜ばせる事ばっかり考えとるやつやろ。最初はそういう、自分を喜ばせる欲をエネルギーにして進んでもええ。けどな、世の中の人を喜ばせたいっちゅう気持ちを素直に大きくしていくことが大事やねん。そやから寄付すんねん。
ここではお金=お米だけれども、与えるとは人を喜ばすこと。
托鉢のお布施はお坊さんへの直接的な貢献になる。
しかも、地元のお寺のお坊さんに捧げた食べ物が地元で再分配され、ラオス全体の豊かさにも寄与している。
托鉢とは、他者への貢献のみならず、それによって自分がこのラオスという国の共同体の一員であることを強烈に意識させるのではないか。
まさに、アドラー心理学の言う他者貢献と共同体感覚の実践である。
参考:
 
しかし、若干観光ビジネス化してしまった托鉢も、観光客がお布施してそれがコミュニティで再配分されてるんだから興味深い。托鉢がかっこだけの儀礼的行為に陥ることなく、観光客のお布施も(信仰心はなくとも)コミュニティの再配分システムにうまく組み込まれている。
 
ルアンパバーンの人々の厚い信仰心と実践と、観光ビジネス感覚が、この街を生き永らえさせている。