Somewhere in the world 〜不真面目社畜の徒然日記〜

ビジネスと旅行と、時々宗教

キャリアの偶然と必然

アラサー世代になると、これからのキャリアをどう築いていくかというのは常に頭の片隅にある厄介な問題だろう

僕もキャリアについてあれこれ考えていたら、面白い記事に出会った。

ボストンコンサルティンググループで日本支社の代表を務めていた御立さんが半生を振り返った記事だ。

 

diamond.jp

 

京都大学を卒業して日本航空に入社、ハーバードでMBAを取得してBCGに転職して日本の代表へ、と絵に描いたようなサクセスストーリーを体現された方に見える。

世間一般からすれば「成功者」に分類されるだろう。

しかし、本人は自身のキャリアは偶然だったと語っている。

 

正直苦手なのは、夢や目標に日付を入れ、計画通りに実現しようとする考え方。私には合わない人生観だ。人生には、必然と偶然があり、偶然に見えることに導かれて自分にとっての必然の方に近づいて行く。そうした方が、事前に想像できなかった所にチャンスが広がっていく。こう思うのだ。

(中略)

自分らしく成長していくためには、偶然の囁きに耳を貸さないといけない。同志社に落ちたから京大に入れ、バンド仲間が広がり、CBSソニーの内定を断ったら、日本航空で現場と経営企画の両方を経験できた。これが、経営を学ぼうという気持ちにつながり、コンサルタントになることとなった。こういった流れは、偶然の導きだったとしか思えない。

御立さんのサクセスストーリーは、計画されたものではなく、偶然的な事象の積み重ねと導きだった。

 

もう一つキャリアについて面白かったのが、京都大学教授の河合江理子氏の記事だ。

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彼女の経歴はとてつもなくグローバルだ。安倍首相が推進しようとしているバリキャリ女子の体現者ではなかろうか。

「日本の公立高校を卒業すると、単身で渡米して、ハーバード大学に入学。その後、INSEAD(欧州経営大学院)、マッキンゼー、BIS(国際決済銀行)、OECD経済協力開発機構)と渡り歩き、現在、京都大学で日本の未来を支える若者たちにその経験を伝えている。」(記事より)

 

そんな彼女のキャリアも、御立さんと同じように偶然の導きだったという。

しかし、高校3年生の秋、職員室の前に掲示されていた「グルー・バンクロフト基金奨学生試験」の張り紙を偶然見つけたことが、私の人生を変えるきっかけになりました。 

 それだけではありません。その後のキャリアの転換期を考えてみても、予想外の経験や出会いがチャンスとなり、30年近くヨーロッパで働き、投資銀行や国際機関で仕事をすることになりました。

 

 

職員室の前に掲示された張り紙を偶然見たことがきっかけでハーバードに入学された。そこからも偶然の導きで外資系企業や国際機関を渡り歩いてきたという。

 

記事でも紹介されているが、スタンフォード大学のクランボルツ教授が提唱する「計画性偶発的理論」によると、人のキャリアの8割は偶然の出来事に左右されているらしい。

 

allabout.co.jp

クランボルツ教授によると、むしろ変化の激しい時代において、あらかじめキャリアを計画したり、計画したキャリアに固執したりすることは非現実的であり、すべきでない。むしろ、偶然の出来事を意図的・計画的にステップアップの機会に変えていくべきと指摘している。そしてこれを実践するために必要な行動指針として、次の5つを挙げている。

(1)「好奇心」 ―― たえず新しい学習の機会を模索し続けること
(2)「持続性」 ―― 失敗に屈せず、努力し続けること
(3)「楽観性」 ―― 新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
(4)「柔軟性」 ―― こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
(5)「冒険心」 ―― 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

 

 

人生は常に計画的に考え、着実に実行することが成功の鍵と思っていた僕にとって、「計画性偶発的理論」はまさにコペルニクス的転回だった。

今までの日本は、キャリアというものはかなり計画的に作りやすいものだった。

いい大学を出ていい会社に入り、仕事を頑張って出世して、役員まで行ければ御の字、課長止まりでも終身雇用だからまぁ安心。定年後は年金をもらって悠々自適に暮らす。

こんな世間一般的なロールモデルが確立していて、キャリアの各段階で与えられた要件をこなしていけば社会からの承認が得られた。

 

しかし、不確実性が高く、変化も激しい現代でこんな生き方がうまくいくとは必ずしも限らなくなった。大企業だって倒産しうるし年金ももらえるか分からない。

何十年先のことを緻密に計画するなんてできない。僕たちが計画した未来が訪れた時、それは想像とは全く異なる世界になっている。

だからこそ、その時々に訪れる偶然に耳を傾けなければならない。

 

御立さんがCBSソニーの内定を断っていたら日本航空に入ることも、BCGに転職することもなかっただろう。

河合さんが職員室前の奨学金の張り紙を見なかったら、ハーバードに行くことも、国際機関のキャリアを積むこともなかっただろう。

そういえばスティーブジョブズが退学後にカリグラフィーの授業を聴講し、マッキントッシュのフォント作りに役に立ったという"Connecting Dots"の話はあまりにも有名だが、これも「計画性偶発的理論」の例だろう。

 

If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backward 10 years later.

たまたま受けたカリグラフィーの授業が、後から振り返ると点と点がつながっていった。

 

大事なのは、偶然に耳を傾け、それらに絶えず意味付けを行い、必然とすることではないか。

日本航空に入ったのはたまたまだった。偶然、職員室の前で張り紙を見た。たまたまカリグラフィーの授業に潜り込んだ。

あの時は偶然だった。でも、今振り返ると、今の自分が自分であるために必然の出来事だった。

いくつもの偶然に導かれ、点と点が結びつきストーリーとなった時に、自分のキャリアができていくのだ。