Somewhere in the world 〜不真面目社畜の徒然日記〜

ビジネスと旅行と、時々宗教

LIFE SHIFT〜これからの生き方について考えよう〜

遅ればせながら明けましておめでとうございます。

年末年始に、これからの人生についてぼんやりと考えていたのですが、

そこで良い本に巡り会いました。

ワーク・シフトの著者リンダ・グラットンの新著、ライフシフトです。

 

すでに世界では寿命が伸長し続けていますが、今生まれる子どもの約半数は100歳まで生きると予測されています。

なので、人生100年が当たり前の時代がやがて到来する。

それを前提にすると、今までの一般的な「教育-仕事-引退」という3ステージのライフプランは持たないと著者は主張しています。

今のように30年ほど働いた後、貯蓄を切り崩して生きるには寿命が長過ぎるということですね。

なので、3ステージのキャリアをマルチステージ化する必要があると説いてます。

仕事しながらまた教育を受けて新たなスキルを身につけたり、

大学を出てすぐに起業して、その後大企業に就職したり、

そもそも組織に属さずフリーエージェントとして生涯現役で働きつづけたり。

そこで大事なのは自分を知ること。自分が何をしたいか、何ができるか深くしらなければならない。

 

日本は相変わらず「良い大学に入って良い会社に就職して」という言説が跋扈している。

ついこないだ僕の親戚のおじさんが定年を迎えた。

彼は旧帝大を出て、東証一部上場企業に就職し、役員まで出世した。

まさにジャパニーズドリームの体現者である。

僕は彼はすごく尊敬しているが、彼のような生き方はこれからの100年人生時代には通用しなくなるだろう。

「良い大学に入って良い会社に就職して」というのは分かりやすいロールモデルだった。

でもこれからは、自分で自分だけのキャリアを作っていかなければならない。キャリアが多様化する社会では、「結局自分は何がしたいのか」をより問われるようになるだろう。

 

 

 

やり抜く力

アンジェラ・ダックワースの「やり抜く力」を読んだ。

 

TEDでも有名になった、GRIT(やり抜く力)が人生の成功となるというお話である。

再生回数も多いので、見た方もいらっしゃるだろう。

www.ted.com

 

 

GRITとは、長期的な目標のために最後までやりきれるか?という能力。

要は、粘り強く努力し続けられるかどうかということだ。

 

本書は、このTEDで語られたことを科学的な検証によって裏付けた内容となっている。

例えばウエストポイントというアメリカで著名な陸軍士官学校は、入学難易度は全米屈指の高さを誇るが、同時に入ってから多くの学生が退学してしまうという。しかし、退学してしまう生徒のパフォーマンスは、入学時の学業成績とはまったく関係がないそうだ。入学時は高い成績だったとしても、退学する可能性はあるし、その逆もありうるのだ。本書では、先天的に保有している才能よりも、後天的に努力し続けられるかの能力が人生のパフォーマンスに影響すると繰り返し説明されている。

 

また、この本には自分のGRITを測るグリッド・スケールなるテストが用意されている。

グリッド・スケールは5点満点で私は4.3だった。アメリカ人の成人の80%よりは上らしい。要するに上位20%ということだった。

ちなみに、GRITの能力自体も才能ではなく、可変的に伸ばせるらしい。僕も、もっとがんばらないと。

 

さて、日本人がこのGRITを理解し、身につけるためには、何度失敗しても這い上がり、努力し続けることが重要だと思う。

なぜなら、日本はハラキリ文化のせいかしらないが、一度でも失敗したら人生終わりみたいな風潮を感じるからだ。

僕たちは、高校受験(都市部なら小学校・中学校から)、大学受験、就職活動と、それぞれのライフステージでふるいにかけられ、一度でもどこかで失敗すると再起できないような雰囲気がある。MARCHだったら、就活で学歴フィルターかかっちゃうから大手は難しいよね、みたいに。

  そこでくじけずに、努力し続けられるかがGRITの真骨頂だ。

 

 僕が知る日本人で「GRIT」の天才だと思うのは、本田圭佑だ。

今でこそACミランで10番をはって日本代表のエースとして君臨しているが、

これまで彼は多くの困難と挫折を乗り越えてきた。

特に、ガンバ大阪ジュニアユースからユースに昇格できなかった話は有名だ。

 

www.footballchannel.jp

 

 

その後もVVVで二部昇格だったり北京五輪で全敗など多くの苦難を味わいながらも、あきらめずに努力し続けることで現在のポジションを得たのだと思う。

 

僕もこの本と本田を見習って、GRITを大事にしたい。

 

 挫折は過程、最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ。-本田圭佑

 

 

生産性を上げて自分の時間を取り戻してそんじゃーねしよう。

ちきりん「自分の時間を取り戻そう」と伊賀泰代「生産性」をセットで読んだ。

 

伊賀泰代さんと言えば、前著「採用基準」の時に「ちきりんの中の人?」と話題になった方だ。

matome.naver.jp

 

二冊の本、同じ日発売したので、もはら今更ですがお二人は同一人物なんでしょう。

伊賀さん側のタイトルまんまですが、どちらもテーマは生産性。

 

主張はどちらも共通かつシンプルで、

「生産性=得られた成果(アウトプット)÷投入した資源(インプット)」

を高め続けましょうというもの。

 

「自分の時間を取り戻そう」(以下、ちきりん本)では多忙すぎる個々の現代人の生産性が、「生産性」(以下、伊賀さん本)は日本企業や日本全体の生産性にそれぞれフォーカスしている。

ちきりん本は「社会派ブロガー」ちきりんとして、伊賀さん本は「元マッキンゼーのキャリアコンサルタント」伊賀泰代さんとして二つの立場から生産性向上の必要性を主張されている。

 

なので、「最近忙しすぎて自分の時間ねー!」って人はちきりん本、

「会社の業績を伸ばしたいのにうまくいかないし、社員も多忙で疲弊している・・・」て悩んでいる経営者や管理職(特に人事部)の人は伊賀さん本を読むと良いと思う。

 

ちきりん/伊賀さんが指摘する問題点は、日本人と日本企業には生産性の概念がなく、諸外国と比較して極めて低い状況にあること。

 

ついこの前も、バカンス満喫中のイタリア人と毎日終電帰りの日本人の一人当たりGDPがほぼ変わらないというニュースが話題でした。

 

news.careerconnection.jp

 

ということでこのままだと日本人は過労でみんな疲れちゃうし国も滅びちゃうよ、だから生産性を高めましょうというわけだ。

 

僕が明日から試したいと思ったのは、生産性向上のためにインプットに制約を設けて実績を可視化し、生産性を高め続ける努力をすること。

 

ちきりん本の方では、生産性を高める策として最初からインプット(労働時間)を制限することがすすめられている。前もってこの日は早く帰ろうとか、来月は(仕事の予定はまだ分からんけど)休みとって海外旅行に行こうと、投入できる予定時間を決めちゃう。で、その時間に間に合わせるために必死で努力する。

 

伊賀さん本では、個々のタスクにかかる時間を減らすために、キッチンタイマーで時間を計測する方法が紹介されている。

マッキンゼー時代に新人指導で実践されていたやり方らしいが、例えば一つの資料作成にかかる時間をキッチンタイマーできっちり測っちゃう。で、当初の予定より時間かかっていたら(往々にしてオーバーするらしいが)何が原因で、どうすれば時間を短縮できるか考える。そうやって同じアウトプットを得られるだけのインプットを減らし続けることで生産性を高める。

 

というわけで、このブログ書くのに時間かけている場合じゃありません。笑

皆さんも、まずはインプットを減らして自分の時間を取り戻しましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲームから降りたら死ぬ」人生で、違うゲームをやり直す勇気を持とう

電通社員の過労自殺事件と、それついて書かれたトイアンナ氏の記事がバズってる。

toianna.hatenablog.com

 

事件について私は報道以上のことは知らず、とやかく論じるつもりはありません。ただただ、冥福を祈るばかりです。

しかし、ブログ記事については共感するところがあった。

電通に入るような社員はこれまでの勝負に勝ち続けてきたので、エリート街道から降りれないという。

 

ここまで成功してきた人は死にもの狂いで頑張ってきたからこそ「ゲームを降りる」ことができない。これまで10倍、100倍の難関を潜り抜けたのだ。今さら普通に過ごしてきた人たちのような暮らしを選ぶことは、努力をフイにするのと同じ。降りることは社会的な死を意味する。

 

これは、電通社員に限らず高学歴で「就職難関」と言われる大手企業に入社した人に共通するだろう。

前の記事にも書いたとおり、僕が新卒で入った会社は、高学歴エリートが集う難関企業だった。

都市部出身者の多くは、小学校からSAPIX日能研に通い、中高一貫の進学校に入り、東大や難関大に入った受験強者だ。

地方出身者でも、地元の付属中学→県下トップ校→東大・難関大という例が多い。

 

皆、人生のゲームに勝ち続けてきたのだ。そして、就職活動で大企業に入ることでこのゲームはクライマックスを迎える。辞めさえしなえれば、「あの人、○○に勤めてるらしいよ」「きゃーすごい!」という称賛を定年まで受け続けることができる。仕事をがんばれば定年後も「あの人、○○で□□まで出世したらしいよ」「きゃーすごい!」という賛美を受けることも可能だ。

 

ゆえに、ゲームから降りることは、それまでの努力と勝利を放棄することになり、彼らにとって許すまじ事態なのだ。そして、ゲームから降りた者は敗北者として嘲笑の対象になる。 

 

でも、苦労して大企業に入ったのに、みんながみんな幸せかというと違う。

僕の同僚も、経歴はスーパーエリートなのに、仕事を楽しめず、でも一流企業の社員であるステータスを捨てる勇気もなく辛い日々を過ごす人が何人かいた。

 

ゲームから降りたいのに降りれない時、どうすればいいんだろう?

難しく考えずに、違うゲームをやり直せばいいと思う。

要するに、別のキャリアでまたがんばるのだ。

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こないだ、水野敬也の「夢をかなえるゾウ2」を読んだ。

ベストセラー「夢をかなえるゾウ」の続編だ。

「2」では、ゾウの形をした神様ガネーシャが、売れないお笑い芸人の主人公に幸せになる哲学を教える物語だ。正直、内容は前作の方が良かったw

面白かったのは、結局主人公は芸人として芽は出ず、別の道で成功することになるのだが、その過程でガネーシャが人生やり直して成功した偉人の例を挙げているシーンだ。

 

「自分、黒澤明くん知ってるか?」

ガネーシャが口を開いた。

「彼はな、もともと画家目指してたんや。でも画家としては芽が出えへんかった。

ただな、映画監督になって、どういう映像作ろうかて思うたとき、画家目指して頑張ってきたことが全部生きたんや。せやから明くんの映画はな、絵のカットも色彩も他の監督と比べ物になれへんくらいすごいねんで」

そしてガネーシャは言った。

「黒澤くんだけやない。ジャイアント馬場くんはもともと野球選手やった。オードリー・ヘップバーンちゃんや、アンデルセンくんはバレエダンサーを目指してたんや。カーネル・サンダースくんも、クリスチャン・ディオールくんも、エイブラハム・リンカーンくんも、元々は違う職業やった。ひとつの夢に破れて、他の分野で夢かなえた例ちゅうのはめちゃむちゃ多いんやで」

                        -水野敬也「夢をかなえるゾウ2」

 

ここで挙げられている人たちはみな、何度も人生のゲームに失敗を重ね、そして後世に名を残している。

 そして、黒澤明の例が物語るように、たとえ最初の夢が破れたとしてもその経験が後々に何かの役に立つ。

 

「ゲームから降りたら死ぬ」と思っている人は、一度の失敗ですべてが終わると思っている。まわりの人から「今まで人生勝ってたのについには負け組かよww」と後ろ指をさされるのが怖いからなのかもしれない。彼ら彼女らは、中学受験、高校受験、大学受験、そして就職活動と常に(偏差値という物差しで測られた)他者との競争に勝ち続けてきたからだ。

ゲームから降りたくても降りれない時があるかもしれない。でも、また違うゲームをやり直せばいいのだ。

じゃあどうやってゲームをやり直せばいい?

ガネーシャ先生はこう教えてくれる。

そしてガネーシャは言った。

「せやから昔の偉い人らは、みんな口をそろえてこう言うんやで。

『やりたいことを、やりなさい』」

 

一度夢破れたとしても、挫折したとしても、また自分のやりたいことを見つけて、やればいい。

 

最後に、今年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの名言を引用しておく。

 

「他人の言うことを気にしていたら、心が死んでしまう」

"If I'd pay attention to what others were syaing, the heart inside of me would have died."

 

「自分の心に従うんだ。そうすればきっとうまくいく。」

"Boy, go and follow your heart and you'll be fine at the end of the line."

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事を好きになるということ

社会人になると、多くの人は月曜から金曜まで会社で日中過ごす。

今後定年が何歳になるかまだ分からないけど、人生に占める仕事の割合は大きい。

だから、仕事に満足できるか、すなわち仕事が好きかどうかは人生の幸福度を左右する重要な命題だ。

 

僕は、いわゆる日本の大企業に勤めている。いわゆる2chの就職偏差値でも上の方にランクインされていることもあり、社内には一流大学出身者がほとんどを占める。

でも、端から見ていて、仕事を好きになれていない人が意外と多い。

僕の同期に、超有名進学校→現役東大合格→留年もせず入社という、エリートを体現したような人がいるが、仕事を楽しめていないという。上司から飛んでくる指示を淡々とこなすばかりで、ふてくされていた。

じゃあ何やりたいの?と聞いても、「うーんわからん」とごにょごにょするばかり。

僕の世話役だった40歳くらいの上司も、突然バックオフィスへの異動を命じられ、すごくやる気をなくしたと愚痴をこぼしていた。

彼も、東大卒である。

 

一方で、僕の大学の先輩で、外資系生命保険の個人営業をやっている人がいる。

僕自身は職に貴賤はないと考えているが、上述のふて腐れている僕の同期は「生命保険の個人営業とかクソだよね〜ww」と馬鹿にしていた。

しかし、その先輩は「自分にとって営業は天職で、めちゃくちゃ楽しい!」と豪語していた。生命保険の営業を馬鹿にしていた同期の100倍は輝いていた。

そして、この前先輩にあったら管理職に昇進していた。本当は営業を続けたかったけど、今の仕事も楽しいらしかった。輝きはさらに増していた。そして、羽振りもよさそうだった。

 

さらに、僕の知り合いで外車のディーラーのマネージャーをやっている人がいる。

自動車のエンジニアからキャリアをスタートし、ディーラーに転じて、会社も何回か変わりつつ、マネージャーまでのし上がった。彼は純粋に車が好きで、とても楽しそうに仕事の話を僕にしてくれる。この前飲んだ時は、「外資は給料やばいよw」と言いつつぽんとおごって夜の街に消えていった。そんな彼は高卒だ。

 

仕事を好きになることに、学歴も、人生の幸福度も、全く関係ないのだ。

むしろ、「自分は○○大卒だから」といばりちらしている人の方が、案外ふて腐れながら仕事を楽しめていなかったりする。

もちろん、僕の会社で東大卒でやりたいことをやって輝きを放っている人たちも大勢いる。彼らは、自分のやりたいことを見極め、社内のリソースを最大限活用し、仕事を楽しみ、そして結果を出している。ただ、東大さえ出れば楽しく仕事が出来るというのも、どうやら違うようだ。

 

僕らは、仕事を好きになる方法を学校で教えてもらわなかった。

それは、社会に出てから、自分たちで見つけないといけない。

他人からやれと言われるのでもなく、他人からどう見られたいかでもなく、

本当に自分のやりたいことに耳を傾けるのだ。

 

"Your heart is alive. Keep listening to what it has to say."

-The Alchemist by Paulo Coelho 

 

 

 

 

瀬戸内国際芸術祭2016 誰が得しているのか?

芸術祭開催中に瀬戸内の島々を巡る間、ふと疑問がわき起こった。

「この芸術祭で得しているのって誰だろうか?」

芸術で儲けるなぞけしからん!という意見もあろうが、誰に利益が還元されているのかは気になった。

芸術祭の開催コンセプトらしきものは公式HPに以下の通り記載されている。

 

海の復権

古来より交通の大動脈として重要な役割を果たしてきた瀬戸内海。行き交う船は島々に立ち寄り、常に新しい文化や様式を伝えてきました。それらは、個々の島々の固有の文化とつながり、育まれ、美しい景観とともに伝統的な風習として今に残されています。

今、世界のグローバル化・効率化・均質化の流れの中で、島々の人口は減少し、高齢化が進み、地域の活力の低下によって、島の固有性は失われつつあります。

私たちは、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内海が地球上のすべての地域の 『希望の海』 となることを目指し、瀬戸内国際芸術祭を開催します。 

   出所:瀬戸内国際芸術祭HP(http://setouchi-artfest.jp/about/
 
要は地方創生ならぬ島創生といったところなんだろう。しかしひっかかるのは、僕は芸術祭で島民の方々と交流することがまったくなかった。どの島も作品の展示エリアと、居住区は明確に区別されている。「ここから先は民家なので立ち入り禁止です」と書かれた看板が掲げられている。そりゃ、不法侵入になるから当たり前なんだけど。
そして作品の受付など、芸術祭には数多くのボランティアスタッフがいるが、おそらくは島外の人たちだ(若い人の比率が異様に高い)。
島の復興を謳いつつも、僕は「島の暮らし」を芸術祭で見ることはなかった。

誰が運営しているのか?

では芸術祭は誰が運営しているのだろうか。

瀬戸内国際芸術祭実行委員会なるものがあり、会長は香川県知事、総合プロデューサーは公益財団法人福武財団理事長 福武 總一郎(ベネッセの元社長、現在は最高顧問)らしい。

瀬戸芸の主要な島は香川県だし、そもそも直島にアートを持ち込んだのが福武さんだから、そりゃ納得である。官民連携という形で運営しているのだろう。

 

利益はどう還元されているのか?

気になるお金の行き先だが、多分そもそも利益出てないと思う。

瀬戸芸は各作品の受付で鑑賞料を支払うが、ほとんどの人が鑑賞パスポートを事前に購入する。これがあれば、いちいち各作品の前でお金を支払う必要がなく、まとめて作品を見れる(※一部作品は追加料金が必要)。テーマパークのアトラクション乗り放題チケットみたいなものだ。

鑑賞パスポートは全国のコンビニで購入できる。売上げは実行委員会が吸い上げ、運営費に回して利益が出た分は島々に分配しているのかもしれないが、そういった記載はホームページにはなかった。

 

海の復権て何だろ?

はじめにことわっておくが、僕は瀬戸内国際芸術祭を否定するつもりはまったくない。

旅と芸術が好きな端くれとして、島々を巡る旅は楽しく(ONE PIECE世代だし笑)、芸術作品には僕のわずかな感性を刺激してくれた。

ただ、芸術祭が島にどれくらいの恩恵をもたらしているのかは分からなった。

島でランチしたお店は芸術祭開催中のみの営業みたいだったし、店員も島外から来たリア充っぽい連中だった(僻みじゃないけど笑)

瀬戸内の島は宿が少なく、ほとんどの旅行客は高松か宇野に宿泊する。

だから民宿が潤う、ということもあまりなさそう。直島の著名なホテルのベネッセハウスはその名の通りベネッセが経営している。

多くの旅行客は夕方フェリーで高松に戻り、讃岐うどんに舌鼓を打つ。

経済的な観点で、芸術祭が島に貢献しているかどうかは何とも言えない。

そして、直島の人口は1992年にベネッセハウスができて、安藤忠雄設計の地中美術館が2005年に開館した後も減少の一途を辿っている。そもそも、海の復権が人口増加ではないのかもしれないけど。

 

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出所:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/直島町#.E4.BA.BA.E5.8F.A3

 

直島から高松に帰るフェリーに乗っている時、隣にいた島外から来たというボランティアの中年女性がぼやいた。

「芸術祭も、島の人によってはいろんな意見があるのよねぇ・・・」

 

海の復権って難しい。

 

 

瀬戸内国際芸術祭2016 ロジの良い点・改善点

芸術作品については前回書いたけど、ここではロジ(芸術祭のオペレーション、運営)について良い点と改善点について書きたい。

 

ちゃんと「国際」芸術祭してる。

まず驚いたのが、国際芸術祭の名にふさわしく、きっちりと英語対応が行き届いていたことだ(あくまで、日本人の一旅行者での視点だが)。

まず、各島の案内看板や芸術作品の説明はすべて日英併記が徹底されていた。英語の地図もある。なので日本語の案内しかないので外国人が島で迷子になるということはならない。(少なくとも、日本人と同レベルの情報を共有している)。

芸術祭で必携とされるガイドブックの英語版もあった。

 

さらに驚いたのが、ボランティアとして各島で働くボランティアスタッフが皆英語堪能だった。各芸術作品の前には受付があるが、日本人には日本語で、外国人には英語としっかり使い分けて案内されていた。

極めつけが、豊島の巡回バスの運転手が、日英両方でガイドしていたのだ。見た目は田舎のおっちゃんなのに(スミマセン)、次の停留所、窓から見える芸術作品についてちゃんと英語で説明していた。

英語対応はテキストからボランティアの採用まで周到な準備がされていた。

実際、芸術祭には外国人(特に欧米系)が多く、また端から見る分には何不自由無くアートと島の旅を楽しんでいた。

昨今、とりあえず何でも国際とつければいいみたいな風潮を感じていたが、瀬戸内国際芸術祭については徹底されていて勝手に感心してしまった。

店のオペレーションはグダグダ

一方、悪かったというかもう少し改善した方がよいのではと思ったのがいろんなお店のオペレーションだ。

島内の移動はバスや自転車が主流で、島に着いたらまずレンタルサイクル屋に行く人が多い。僕もとある島で電動自転車を借りに行ったのだが、なんともオペレーションが遅かった。30分くらいの行列を並んで何とか僕の番になったが、遅い理由が分かった。一人の店員が一人一人の客に何を借りるか(その店は電動バイク、電動自転車、自転車を貸していた)を聞いて、商品ごとの使い方の説明を一人一人に行っていたのだ。

だったら電動バイク、電動自転車、自転車とかでレーンを三つに分けて、使い方の説明は5人とかまとまった人数でやればもっと効率的になるはず。もちろん、店舗面積、人員の制約はあるけど。

 

また、とある島のバーガー屋さんでも、レジには一人しかいなくて注文受けと商品渡しを同時に行うもんだからなかなか列がさばかれていなかった。商品渡すから注文は受け取れないわ、そうこうしているうちに注文する人の列と商品待ちの列がぐちゃぐちゃになって大変だった。マクドナルドみたいに注文する人と商品受け取る人で2レーンに分ければ解決するのでは?と思った。

 

でもオペレーションがグダグダでも商売が成り立つのは、供給に対して需要が過剰だからだと思う。芸術祭開催中はおびただしい人が島に訪れ、島中のレンタサイクルが貸し出されてしまう。だから効率的にさばこうが、レンタサイクル屋にとっては関係ないのだ。いずれすべての自転車が借りられるのだから。

飲食店だってランチタイムはどこも一時間待ちがざらだった。だからのんびりしててもその日の材料が売れ残ることはない。

芸術祭で島に展開している店舗はある種の独占市場になっていると思う。

もともと島のキャパシティが限られているところに、どっと需要が急増する。競合と需要を分け合ったとしても十分に儲けは出る。それに、三年に一回のイベントだ。サービス改善のインセンティブは生まれない。

 

参加する側としては、こういうものと覚悟した上で島に上陸すべきだろう。