なぜラオスでは社会主義と宗教が共生できるのか
仏教の街ルアンパバーンを歩いていて興味深いのが、仏教寺院が立ち並ぶ傍らでラオス国旗とともに社会主義を象徴する「鎌と槌」の赤旗が掲げられている光景だった。
ラオスの国旗。赤は独立闘争で流された血の色を、青は国の豊かさを、中央の白丸はメコン川に昇る月を表している。
社会主義を象徴する「鎌と槌」の旗。
ラオスはソビエト型の統治を理想とする社会主義国家だ。人民革命党による一党支配体制が敷かれている。その一方で、国民のほとんどが上座部仏教を信仰している仏教国でもある。
1975年までラオスは王国だったが、フランスの植民地支配を経て左派のパテートラオが内戦に勝利すると、社会主義へ移行し、王族は追放された。
詳しくはWikipediaで。
しかし、マルクスが「宗教はアヘン」と言ったように、社会主義と宗教とは本来相容れないものだと僕は思っていた。
例えばロシア革命後、ロシア正教はソビエト政権により厳しく弾圧された。
ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂である救世主ハリストス大聖堂が爆破されたくらいだ。(日本でいう伊勢神宮に相当するくらい神聖な建築物)
なぜラオスでは社会主義と仏教が共生するのか。この問いを考えると、日本からしてマイナーなラオスの特殊な事情が浮かび上がってくる。
僕が考えるに、社会主義と仏教が共生する理由は大きく三つあるのではと思った。
①仏教はラオスの国民性に深く根付いており、それを変えることは不可能だった
②仏教の実践が、社会主義イデオロギーの達成に貢献するものであった
③ラオスの共産主義革命は、他国のそれよりも急進的でなかった。
①仏教はラオスの国民性に深く根付いており、それを変えることは不可能だった
1975年に社会主義体制に移行した当初は仏教は人民革命党により弾圧されたが、大きな反発を受け、すぐに弾圧は終わったらしい。
ラオスは東南アジアでもかなり敬虔な仏教国だ。14世紀から19世紀末まで続いたラーンサーン王国では、仏教が国教とされていた。
托鉢という仏教行事が毎朝実践されているし、若い人たちも満月の日にはお寺でデートするらしい。
老若男女、ラオス人の心には何百年と仏教が根付いている。
それを真っ向から否定するなんて、日本で天皇制を否定するようなものかもしれない。
太平洋戦争後、昭和天皇が戦犯を免れたのは、「この人処刑したら暴動おきてヤバい」とGHQが判断したってのは有名な話ですよね。
②仏教の実践が、社会主義イデオロギーの達成に貢献するものであった
托鉢がラオスの富の再配分機能を担っていると書きましたが、仏教の実践が社会主義が理想に近づくものだったと言える。
ラオスでは労働人口の8割が農業に従事している。また、国土の多くが山岳地帯で占められ、必然的に人々は小さくまとまって各地で農業を営んで暮らしている。
つまり、前近代的な農業共同体が今も維持されているのだ。
その共同体の中心的存在が仏教の寺院だ。托鉢で集めた食料を貧困層に分配するだけでなく、貧困層の子どもに対する教育サービスも提供している。
普通の学校に行けない子どもは、寺院に通って僧侶になる選択肢がある。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000096650.pdf
厚生労働省と文部科学省と国交省が管轄する業務を寺院がやっているようなものだ。
これってまさしく中世ヨーロッパの教会・修道院と同じ。
ヨーロッパは産業革命以後、工業化が進展するに伴い教会が街のコミュニティセンター的な役割を担うことがなくなり、世俗社会との結びつきが弱まっていった。
でもラオスは上述の通り小規模で分散した農業共同体が維持されているので、仏教がかれらの生活の基盤となっている。
平等で公正なる社会の実現を標榜する社会主義は、ラオスでは仏教の実践によって成されている。
そして、ラオス人民革命党も仏教との理念の共鳴を公言しているそうだ。
ラオス人民革命党も仏教との関係を意識しており、党の理念・思想と仏教の思想が一致す ると明言し、党の勢力拡大策として寺院を利用している側面もある。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000096650.pdf
③ラオスの共産主義革命は、他国のそれよりも急進的でなかった。
ロシア革命はロマノフ王朝を滅ぼして世界初の社会主義政権が成立した一大事だったし、中国の辛亥革命も2000年続いた王朝政治を妥当した大規模な革命だった。
でもラオスの社会主義革命は、大規模な衝突もなく粛々と行われたことから「静かな革命」と言われているそうだ。
ラオスも内戦を経て人民革命党政権が成立したが、それを率いていたのはスパーヌウォンという人で、何と彼は王族出身者だった。
ルアンパバーン王国の副王の子として生まれながら、左派の先鋒として内戦を戦い抜き指導者の座についたことから、「赤い殿下」と言われているらしい。
社会主義革命とは言いつつも、ラオスの場合は仏教のイデオロギーの正統性を前提としたものだったのではないか。レーニンや孫文が王朝を全否定して国を一から作ったのとは異なり、ラオスの根底に流れる仏教はそのままに、国の統治メカニズムとして社会主義がなりたっている。
ラオスは日本からバンコク経由で行っても8時間ほどの距離で、海外旅行ではわりと近いほうだろう。同じアジアの国であっても、日本とは国の統治の仕方も、国民の精神も異なる。近いけど、全然違う国。
ラオスに行けば、国を国たらしめるものは何か考えさせられます。